地方公務員(事務)経験談

辞めたい思いをずっと引きずっているなら、思い切って辞めるのも一つの手。語学を活かして公務員から転職。

カテゴリ

地方公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの転職 / 公務員からの独立・起業

取材エリア

関東

お名前

大原知美 様(仮名)

経歴

2007年4月大学卒業後、草加市役所に奉職
2012年1月辞職
2012年2月~5月㈱女将塾入社 韓国にてビジネスホテル立ち上げプロジェクトに参加。
※女将塾はおもてなしのプロとして女将を育てている会社であり、本プロジェクトには日本のおもてなしの海外進出をビジネスホテルで行おうとしている会社と協賛したものです。
※会社都合(プロジェクト解散)により退職
2012年5月~8月無気力&やりたいことを求めて、短期派遣やアルバイトをする
2012年8月~11月テンプル大学ジャパンキャンパス(派遣・期間限定)
2012年11月~2013年6月慶應義塾大学理工学部学生課国際担当(派遣)
2013年8月~韓国に遊学予定(1ヶ月)

関連サイト

http://datsukoumu.exblog.jp/

草加市役所を退職後、韓国での事業プロジェクトの参加、大学事務の仕事など幅広く活動されている大原さんのインタビューです。大原さんのパワフルさを感じられる内容となっております。


本日はインタビューに協力いただきありがとうございます。では、公務員時代のお仕事内容から聞かせていただけますでしょうか。

 こちらこそよろしくお願いします。
市役所では2つの部署を経験しました。大学院を出たばかりで、新卒は福祉に回されるという噂?通り、介護保険課に配属になりました。(※ちなみに、新卒は福祉から、というのは役所の中で1番大変な部署だから、というのが理由らしく、新卒同期は全員福祉部へ配属でした。)

結果3年いたのですが、係長が毎年変わり(うち1人は途中脱落)、係内で先輩同士が激しく応酬を繰り返すという職場環境はあまり良いとは言えませんでした。同時に法の網目からこぼれてしまう本当に救いの必要な市民の方を見て、やり切れなさや悲しさも感じました。


その後自治文化部に異動になります。ここはいわゆる花形部署で、国際交流を2年弱担当しました。当市には米国と中国と1市ずつ姉妹都市協定を結んでいるのですが、幸運にも(?)私は両国からの派遣団の受入に関わりました。
1年目は米国から青少年使節団の受入を担当し、一緒に日光や浅草など行程をこなしました。2年目は中国から副市長を含む職員使節団の受入に関わりました。中国とは10年以上年賀のやり取りしかなかったので、2つの受入に同時に関わったことはほとんど奇跡だと思います。またマラソン大会を実施した際、金メダリストの高橋尚子さんにお会いできました。ここでの2年間は、役得と言えることが多かったと思います。



―公務員を辞めようと思われた経過などをお話いただけませんか。

 そもそも公務員になったのは、「大学時代から続けていた空手を続けたい」という不順な動機でした。望みを叶えながらも、福祉にいた時は「大学・大学院時代に培った英語を活かせない不満」「いつも前例に習うお役所体質」に、この人達と同じになりたくない!!という思いを強く抱きました。

1番最初に「辞めたい!」と思ったの…


ここから先の記事は会員限定です。会員登録は無料で、詳細な個人情報の入力なく1分ほどで完了します。

今すぐ会員登録を行う (無料) ログインする



地方公務員(事務)経験談に属する他の情報を見る