国家公務員(事務)経験談

介護と仕事の両立困難、職場での不満…出した結論は究極のSOHO

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国家公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの独立・起業

取材エリア

地域関係なし

お名前

非公表

経歴

青森県立某高校卒
→国家初級(行政)合格
→厚生省入省、国の医療系施設や地方支分部局勤務
→社会保険労務士・行政書士・ファイナンシャルプランナー
厚生労働省職員から社会保険労務士・行政書士事務所を起業

青森県立某高校卒→国家初級(行政)合格→厚生省入省、国の医療系施設や地方支分部局勤務→社会保険労務士・行政書士・ファイナンシャルプランナー
厚生労働省職員から社会保険労務士・行政書士事務所を起業

―はじめに公務員(厚生労働省職員)になった経緯をお聞かせください。
 1年のほとんどを首都圏に出稼ぎに出ていた父が、実家に帰ってきたときにいつも「公務員になれ」と言っていた影響が強く、公務員が「国民全体の奉仕者」であることを知ってから、迷わずに公務員になることを選択しました。
 でも、父が私に勧めた理由は「安定しているから」一番の理由だったのですが・・・・・・・。
 公務員試験合格後は、旧厚生省関係を中心に就職活動をしました。それは、私自身が子供の頃病弱で入退院を繰り返し、また、弟を心臓病で亡くし、間接的であっても、お役に立てるのは厚生省しかないと考えたからです。

―公務員の仕事に不満はありましたか。
 いいえ、総合的に考えればありません。
 父の死、母の交通事故の影響により、いわゆる『役所(事務部局)』よりも『施設(現場)』での勤務期間が長く、一般の方とも接する機会も多く、公務員を目指した理由はある程度達成しました。また、東北管内の同期の中では一番若くして係長に昇進するなど、やりがいもありました。
 しかし、役職をいただいてからがいけません。仕事に対する情熱は変わりませんでしたが、組織のやり方、上司に対する不満がどんどん蓄積していきました。

―公務員を辞めた原因は何ですか。
 きっかけは、私が24歳のときに父が他界し、27歳のときに母が交通事故に遭い半身不髄になってしまったことです。
 母の交通事故の影響で、15歳離れた弟は中学校を登校拒否、母の退院後の介護などの家族内の問題も多く、この頃から「公務員を退職すること」を意識し始めました。
 仕事と介護の両方を何とかこなしていきましたが、上司の横暴やふがいなさに対し、不満が最高潮に達した33歳のとき、連日の長時間残業、金曜日の夜は寝袋持参出勤、とうとう「こんなことしたかったのか」と思うようになり、とうとう不眠症などでダウンしてしまい、もう退職しようと決意しました。 …


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