国家公務員(事務)経験談

竹馬に乗って仕事の中央官庁時代。裸足で地面に立って何ができるか?

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第二の仕事人生

公務員から公務員(系)へ

取材エリア

関東

お名前

鶴光太郎 様

経歴

東大理学部卒
→国家公務員上級数学職合格
→経済企画庁入庁
→OECD出向中のまま退職
→霞が関の研究所のフェローとして勤務しながら内閣府非常勤スタッフに登用。

関連サイト

http://www.rieti.go.jp/users/tsuru-kotaro/

東大理学部卒→国家公務員上級数学職合格→経済企画庁入庁→OECD出向中のまま退職→霞が関の研究所のフェローとして勤務しながら内閣府非常勤スタッフに登用。

いったん霞が関を去りながら、違うかたちで復帰を果たした鶴光太郎さんです。官→民→官の「出戻り」の可能性を考える上で大変参考になるインタビューです。

東大理学部卒→国家公務員上級数学職合格→経済企画庁入庁→OECD出向中のまま退職→霞が関の研究所のフェローとして勤務しながら内閣府非常勤スタッフに登用

なぜ公務員になったのですか。
 私は理系の出身です。教養学部のころは大学院に進もうかと考えていたのですが、数学科に入り、周りを見渡すと逆立ちしてもかなわない天才がごろごろしている。とても太刀打ちできないと思い知りました。また、よく理系の人間は現実社会にはあまり関心がなく、専門分野に集中しがちといわれますが、私は文系の分野も興味がありました。そのため、数学的な思考も活かしながら広く世の中も見てみたいということで、旧経済企画庁で官庁エコノミストを目指すことにしたのです。

大蔵省の経済職というルートもあったのではないですか。
 確かに東大などの理系出身で国家?種(旧上級)の経済職に受かり、大蔵省に入る人もいます。でもやはり主流は東大法→法律職ですよね。理系出身で中央官庁に入ると、技官として採用され、事務官と区別されるのが普通です。それゆえ、出身学部や試験区分で差別されることはないと聞いていた経済企画庁を選びました。


退職を考えるようになったきっかけは何ですか。
 入庁10年目、OECD(経済協力開発機構)に出向し、当初の3年の任期が切れるときに「もうちょっとこっちで働きたい」という思いが強く、親元とも掛け合ってOECD内での異動による任期延長を認めてもらいました。

 ただ、延長された任期の途中で親元から帰国するように言われました。任期の途中であり、手がけていた仕事を最後まで続けたいという気持ちが強かったですね。OECDもサポートしてくれたのですが、親元…


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