教職関係 経験談

100通以上の履歴書もただの紙屑と化してしまった現実…

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取材エリア

関東

お名前

池沢 佳菜子 様

経歴

東京理科大学理学部卒
→都立高校教員
→教員を休職し、青年海外協力隊へ
→教員を退職し、国連研修員へ
→民間企業、NGO勤務
→福祉系専門学校

関連サイト

http://amzn.to/MWPswi

東京理科大学理学部卒→都立高校教員→教員を休職し、青年海外協力隊へ→教員を退職し、国連研修員へ→民間企業、NGO勤務→福祉系専門学校→児童館の児童指導員→私立高校教員→高校を退職し、社会人大学院へ

―はじめに教員になった経緯をお聞かせください。
 私は教師になろうとは高校まで考えていませんでした。しかし、家が貧しく、母子家庭だったためなんとか自分自身で食べていけるだけの技術なり資格なりは身につけなければと思っていました。女性が今の日本で一生続けられる仕事をいくつか考えた中で、まず栄養士を考えました。しかし公立の短期大学を出ていざ栄養士で就職しようと思ったらぜんぜんうまくいきません。管理栄養士までもってないとだめだとそのとき気づきました。が、遅かった…で、どうしようとまたいろいろ考えて、安定している公務員、それも自分が勉強した教科・専門性をいかせる教師になろうと思い、夜間の大学に入学し、働きながら教員免許を取得し、教員になりました。

―まず一旦休職してアフリカで青年海外協力隊に行かれましたが、その理由を教えてください。
 今の日本では、特に女性は一度退職したら再就職はむずかしいと思い、休職して参加しました。帰る場所があると思えば現地で活動していても安心して活動に打ち込めますので。
 また、退職したら協力隊から帰ってきても仕事はないとうわさで聞いていましたし。実際、一般企業に勤めていた私の知り合いなどは、会社が休職を認めてくれずやむなく退職して協力隊に参加したけどやはり帰国してから仕事を探すのにすっごく苦労しているようでした。要は、日本社会は国際化なんて口ではいってますが、協力隊にいくような人は変人としかみていない気がします。

―確かに。私が中央省庁にいたころ、若者が安心して協力隊に参加できるように帰国後の受け入れ態勢を整えるべきという話を某省職員がしていたのを聞いたことがありますが、本音と建前を感じましたね。帰国後、教員を辞めることになったきっかけは何ですか。
 日々の授業に身の危険を感じることさえあり、日本の教育の退廃ぶりに嫌気がさし、協力隊帰りの私に対する学校側の姿勢もあいまって、日本の教員社会に復帰できなか…


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