地方公務員(事務)経験談

霞が関のキャリア組以外は大手シンクタンクに転職できないなんて嘘

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地方公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの転職

取材エリア

関東

お名前

非公表

経歴

在京私立大学文学部卒
→埼玉県庁上級職合格
→大手シンクタンクに転職

在京私立大学文学部卒→埼玉県庁上級職合格→大手シンクタンクに転職

―どうして公務員の道を選んだのですか。
 私は東京都出身でしたが、中高生のころから、埼玉県の土屋知事がモノ言う知事の代表格として国と戦っていたのが記憶に焼きついていました。業者テストを廃止したり、「埼玉都民」のために新宿にパスポートセンターを設置するなどの取り組みをしていたので、埼玉県庁に魅力を感じたのです。
 規模の大きな東京都庁に比べ、入っても埋没せずにやっていけそうな気もしたので埼玉県庁を選びました。
 とはいえ、実はもともと行政職公務員ではなく教員志望でした。それがどうして行政職を目指すことにしたのかというと、教員というのはどうしても1対1の関係でしか人に影響を与えられません。しかし行政であれば政策策定を通じて一度にもっと多くの人にいい影響を与えることができると思い、そちらに魅力を感じたのです。
 もっとも、私の就職時期はすでに不況に入っていたので役所の安定を希望したという本音もあります。

―入庁はいつごろで、何年ほど勤めましたか。
 平成10年に入り、9年5ヵ月働きました。

―どのようなお仕事をされてきたのですか。
 最初は県立高校の学校事務に配属されました。具体的には授業料の徴収や校内の庶務を3年ほどやりました。入ったあとに知ったのですが、最初の配属が教育系(県教委)だとその後もずっと教育系で知事部局に行けないのが一般的傾向だったらしく、それに愕然として一時期は転職も考えていました。
 しかし当時の世の中はまだ不況ですし、まずは手に職をつけようと思って資格試験の勉強を始めたのです。実は勤務先は定時制だったので、昼間に専門学校に通うことができたのです。本来なら新規採用職員の異動は3年という触れ込みでしたが、学校現場は5年周期の異動になりそうな雰囲気で、その怒りにも似た感情が、自分を資格取得に駆り立てていたのだと思います。実際、学校勤務時代に簿記1級と社労士までは合格しました。
 一方で、知事部局への異動の望みも捨てておらず、人事異動の希望を書く定例の自己申告書に「知事部局にいきたい!」と書いて毎年提出していました。…


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