地方公務員(事務)経験談

これからは安定した仕事こそが不安定な時代になる

カテゴリ

地方公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの独立・起業

取材エリア

関東

お名前

梶田了 様

経歴

国学院大学文学部卒業
→埼玉県庁上級職
→カイロプラクティック養成学校
→整体院を開業

関連サイト

http://www.life-k.jp/shop.php

国学院大学文学部卒業→埼玉県庁上級職→カイロプラクティック養成学校→整体院を開業

―はじめに公務員になった理由を教えてください。
 親が教員で公務員が身近だった上に、当時はとりたててやりたいことがなかったことから、将来は事務職公務員か教員のどちらかになるのかなと思っていました。
 大学4年の年はバブルのころで、民間企業から内定ももらっていましたが、結局辞退し、卒業1年目に公務員試験を受けました。そして、とりあえず公務員になってしまったという感じです。既卒だったので、翌年の1月に採用されました。

―公務員時代はどういうお仕事をされていたのですか。
 最初の3年半は、小児医療センターの用度・管財部門で契約や入札関連の仕事をしていました。転機となったのは、職場のレクリエーションのバレーボールチームに入っていて腰痛になったことです。整形外科、はり、きゅう、接骨院など、いろいろ試したが直らない。入庁2~3年目のころに、半信半疑でカイロプラクティックを試したら、けろりと直ってしまった。

―それが今につながっているわけですか。
 当時すぐに転職を意識したわけではありません。その後、本庁の広報部門に異動し、4年ほど勤めました。主に県が枠を持っている広報テレビ番組の企画の仕事です。自分で言うのも何ですが、仕事内容的に、庁内でも人気の高いポジションであることはご想像していただけると思います。非常にやりがいのある仕事ではありました。
 その後、1年弱ですが、土木部長の下で調整担当(秘書的な仕事)をやっていました。

―それで、梶田さんの転職の直接のきっかけは何でしょう。
 県庁は民間企業と違って、どんなにがんばっても給料は変わりません。ですから、仕事で競争するのは自分の存在意義を示す(=出世する)ためなわけですが、上司を見回してみると、どんなにがんばってもせいぜい部長までだろうと思ったのです。
 広報部門にいたおかげで、各局の課長に直接取材する機会を得ましたが、直に見た課長たちの多くはパッとしませんでした。それで、このままがんばって課長になってもなあ…と思うようになったのです。…


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