地方公務員(事務)経験談

「公務員を辞めたやつなどどうせ使えない」に対抗する方法はただ1つ

カテゴリ

地方公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの転職 / 公務員からの独立・起業

取材エリア

関東

お名前

古木勝久 様

経歴

大学卒
→世田谷区役所入所
→タウン紙発行会社
→印刷会社
→印刷企画会社オフィス・フルプリントを起業

関連サイト

http://a-n.co.jp/furuki/furukprofile.html

大学卒→世田谷区役所入所→タウン紙発行会社→印刷会社→印刷企画会社オフィス・フルプリントを起業

―はじめに地方公務員になった経緯をお聞かせください。
 1974年、大学卒業前にいくつかの出版社を受験しましたが、すべて不合格になりました。区役所を受けたのは、偶然、区立中野文化センターに卒業論文のまとめをしようと立ち寄ったところ、特別区の採用試験のポスターを見たのがきっかけでした。考えてみますと私の友人も地方の県庁や自治体、教員が多く、そういう流れの中にいたのでしょうか。

―地方公務員時代は具体的にはどのようなお仕事をされていましたか。
 教育委員会社会教育課(現在は生涯学習課にあたります)文化財係が4年です。当時、この区には文化財を保護する条例がなく、文化財保護法や東京都文化財保護条例を準則的に運用していましたが、77年に骨董的な優品主義を排して、国や他の自治体に先駆け文化財登録制度を取り入れた条例づくりに参画しました。また、文化財記録映画の企画・製作、古民家の復元などに携わってきました。
 1979年から7年間は、区長室広報課で「グラフ誌」や区報の編集・発行に従事しました。民間への転職に最も影響を与えた仕事といってよいでしょう。その後1986年から4年間は区民部管理課で区内の支所・出張所の調整・管理部門に携わり、ボランティア団体の名簿・履歴の入力等を行いました。
 役人生活15年間は、ある意味、「典型的なお役所」ではないところばかりを経験してきたと思っています。

―辞めたのは何年目で、何歳のときでしたか。
 15年目、38歳でした。もっと早い年齢で退職すればと、今思えばやや後悔しています。

―地方公務員の仕事に不満はありましたか。
 何が不満だったかと問われれば、職場に対してというよりも自分の限界や力不足などに対する不甲斐なさのほうが大きかったです。また私自身の性格が公務員には馴染まなかったということもあるでしょうか。

―性格が馴染まなかった、というのは具体的にはどのようなところでしょうか。
 往々に…


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